ゲストハウスひつじ庵は、ちょうど一年前の2013年11月13日にオープンしました。
月並みな感想ですが、本当にあっという間です。
当時は、大工さんなどに改装は手伝ってもらいましたが、それ以外はすべて一人で準備し、オープンまで右往左往してました。
保健所の検査以降、旅館業法の許可がなかなか下りずに悶々としてて、その日の朝、まだ下りないだろうと高を括り、紅葉を観に行こうと高雄に行きました。
そうしてバスに乗り神護寺に到着した途端、保健所から許可が下りましたと電話。
せっかく来たからとしっかり観光し、夕方宿に戻り、お風呂に入り掃除をして、そこから予約を開始しました。それが11月13日。(※余談ですがその日は偶然にも「未の日」)
結果的に13日、14日は誰も来ず、15日から記念すべきゲストさんが6人来てくれました。
ゲストが来てくれたことでようやく自分が作り上げた「ひつじ庵」という入れ物に血が通った瞬間でした。
MAXで14人という小さい宿ですが、1年間たった一人で運営してきたことは、一つの自信となりました。
勤めていた会社を辞め、オーストラリアで海外生活、それからバックパッカー的な旅にはまりアジア、南米、ヨーロッパと旅をして、今思えばその中で「だれにも頼らず一人でやる」という力を身につけた旅だった気がします。
僕という人間はどうしても現状に甘えてしまう癖がある。
日本にいて、なんらかの組織に所属している頃は、いつしか与えられることを待つようになり、その与えられた仕事を「はいわかりました」「はいわかりました」と頑張ってるうちに、自分では変えられない大きなシステムの中でストレスを溜め込みその組織への愚痴や不満をこぼすようになる。
そんな愚痴や不満を言いながら組織にとどまっている周りの人をみるのも、自分自身にも我慢が出来なくなっていく。
組織に所属していると「給料」という、どこからどういう風に生れ出たお金かよくわからないまま会社から渡される給料明細の文字列、それはあたかも会社から自分への「値付け」としか思えなくなっていく。
海外で一人旅をすると、依存を捨てることができる。初めは捨てざるを得なかったと言った方が正確だったはずだが、いつしかその身軽さが心地よくなり、依存状態から逃れるために旅を繰り返すようになった。今思えば。
勉強して大学に入り、手書きの履歴書をなんども書き直し、うすっぺらな入社動機や自己アピールを並べ立て、会社に入り、電車に揺られて、タイムカードを押し、人に使われ、人を使って…
何かに所属をすることで力を発揮する人もいるし、そつなく仕事をこなして何事もなく毎日を過ごすことができる人もいるでしょう。組織に依存するのではなく、組織の方が依存する(無くてはならない)人材になれることがベストでしょう。しかし自分にはできなかった(そんなモチベーションも持てなかった)。
「社会不適合者」というか「会社不適合者」だと言ってもいいでしょう。
組織に所属する(依存する)ということでしか、生きる手段がないのではと、ある時までは勝手にそう思い込んでいました。
「ゲストハウス」をやろうと思うまでは。
この「一人でやる小さな宿」というのは非常にシンプルです。いわゆる「ホウ・レン・ソウ」という何も生み出さない作業は必要ないし、別組織とのやりとりは、リネン屋さんと予約サイト(じゃらんや楽天など)のみ。
前者とは数量を連絡して配達・回収するというやりとりだけ。後者とは参画時にやり取りする以外はオンライン上の数値の増減を自ら操作する程度。
オーバーブッキングに気を付けながら予約処理をして、宿泊してもらうゲストの為にベッドを確保し、接客し、掃除する。
「宿という箱」と「スタッフ(自分)」と「ゲストさん」。その関係性と収益構造は非常にシンプルです。
ゲストハウスという宿の業態は、スタッフとゲストさん双方にお互いに 必ずしも依存を要求しない。
スタッフは、ゲストさんの気持ちを読み取り最低限のフォローときっかけづくりをする。
ゲストさんは安さの代わりにタオルを持参したり、シーツを自ら片付けたり、適度にスタッフを「活用」する。
そんな緩い関係性が心地よい。
この一年で、国数はおそらく40カ国以上、延べ人数で1700人ほどのゲストさんが来てくれました。1700人の人と話し、1700人分のシーツを交換し、1700人に「さよなら」と「ありがとう」を言ってきました。
さまざまな文化・民族・習慣の違い、もちろんそういうカテゴリ以前に、人それぞれ個性があります。違いを楽しむことと同時に困ったことやトラブルは当然あります。
それもまた通り過ぎてしまえば適度な刺激や良い思い出です、まるで旅先での出来事のようでもあります。
ゲストハウスの運営は旅先にいるような感覚で日々楽しんでやってます。
まずは一年。そして これからも宜しくお願い致します。
最期に、10年程度前のものですが「情熱大陸」で紹介された
角田光代さんの「旅先三日目」という素敵な詩を紹介して終わりとします。
「旅先三日目」(引用元)------------
旅に出る、見知らぬ町に着く。
幾度も迷いながら歩きまわり、
だいたい三日目に、自分がまるごと
その町に溶けこんでしまったような
錯覚を抱く。
体が急に軽くなる。
仕事も名前も年齢も
私はなんにも持ち得ない
持っていたとしても ここでは
まったくの無用だと気づく。
それはちっともさみしいことではなくて
むしろすがすがしい気分である。
旅から帰ってくると、つい
何か持っているような気になってしまう。
仕事、家、友、約束、銀行口座、名前、年齢、
実際私たちはそうしたものを背負って
日々よろよろと暮らしていて、
ひとつでも失うとなんとはなしに不安になる。
けれど実際のところ、本当には
私はなんにも持ってないんじゃないか。
持っている気になっているものすべては
思いこみとか、一時的に預かっている
何かなんじゃないか。
そのことを忘れそうになると、
私はいつも、あわてて旅にでる。
旅先三日目のあの
空っぽな気分を思い出すために。
角田光代