ゴツッ
鈍い音がした。もう後戻りできないなと思った。改装の為、古い水回りの壁を大工さんが壊し始めた。2013年の9月6日のことだ。
後にゲストハウスひつじ庵となるこの建物は、白峯神宮の蹴鞠のイベントを見に行った帰り、普段通らない道を自転車で走っていた時に見つけた。
賃貸の看板が出ており、すぐにその連絡先に電話をした。
数日後、京都でお世話になっている知り合いの工務店さんと一緒に物件を見学。
「いける」と思った。
2010年10月、最初からゲストハウス開業を目指して京都に引っ越してきた。
引っ越してすぐ物件を探したが、不動産屋では、まったくの素人、ほとんどお金がないということで、バカにした顔をされ相手にされなかった。まずは生活していなければいけないことと、ゲストハウスでの経験も必要だと思った。
ちょうどヨドバシカメラが京都に開業する時でその飲食店のアルバイトを見つけた。
その後、オープンしたばかりのゲストハウスのアルバイトにも採用された。家とヨドバシカメラの間にあり、行きつけになっていた小さな個人店のカフェの人の紹介で知った宿だった。
アルバイトをしながら何軒も物件見学をした。なかなか決められず、そのうちだらだらと安寧な生活を送っていた。
京都に来てから二年、もうさすがに見つけなきゃと思っていたタイミングだった。
築年数は80年ほど。町家感はなく、昭和の改装がされて長い間住居として使用されていた。
構造体としてはしっかりしている。内装が良くも悪くも綺麗なので(住居としては綺麗だが宿としては使えない)、家賃が高かった。京都は2010年ころからゲストハウスが増え始めていたが、まだまだ認知と理解が低く、ゲストハウスとして貸出OKとなる物件を見つけること自体 難しかった。
物件は京都市の碁盤の目のど真ん中。アクセス的には申し分ない。ネックは家賃の高さだったが、ここなら「いける」という直感があった。ここにたどり着くまでに10軒以上は不動産立ち合いのもと見学していたし、何軒か「逃して」しまい、それらが別のゲストハウスとしてオープンしていった悔しさを経験していたのも、すぐに決断できた要因だったと思う。
大家さんと会う、日本政策金融公庫からお金を借りる、賃貸借契約をするなどなど。
昔 仕事で使っていたCADが一か月だけお試し無料利用ができたので、それで図面を描き、
区役所の保健衛生課や消防と自分で直接 相談や打ち合わせを繰り返した。
開業するための改装などにお金が必要なのに、日本政策金融公庫の担当者からは「営業許可が下りないとお金を貸せない」などと謎の縛りを受けたので(このおっさんがオカシイ)、泣く泣く親から一時的にお金を借りたりした。
改装が始まり、水回りの壁がどんどん取り壊されていく。なんだかんだでいろんな決断から逃げてきた人生だったが、もうこれで後戻りできないなと思った。
手伝いで運ぶ大量のガラ(解体の廃材)の重さが身体に響いた。
私はかつて建築系で仕事していたが、金物系(ステンレス手すりやアルミパネルの設計)であり木造の改装などは門外漢。ガッツリ図面を引き、造作物を現場で設置していくやり方とは違い、大工さんの裁量に任せるところが多く、イマイチ勝手がわからず、どんどん勝手に進めていくやり方などに戸惑った。
造作は大工さんだが、少しでも安くするために柿渋塗りは自分担当だ。床や壁は比較的楽だった。だが天井は大変だ。脚立に乗る。化粧していない材は強烈に塗料を吸っていく、なんども柿渋が入ったバケツに刷毛を漬けては塗り、漬けては塗り…。電気ケトルを持ち込んでいたので、それでお湯を沸かしカップラーメンを食べながら、肌寒い中、夜な夜な一人で塗り上げた。
二段ベッドも一人で組み立てた。片方を支えながらやらないと組めないわけだが、なんとか泣きながら四台完成させた。大量の布団やマットレスの荷ほどき、設置、段ボール解体などなど…大変だった。当時、ゲストハウスは開業作業をブログにアップしていくのが流行っていた。どこも仲間と一緒にワイワイやっているのが普通だが、非リア充の自分には、そんなキラキラした世界とは無縁であるし、むしろそれを望んでいたのだが、この時だけは悲しかった。
工務店さんの連れてきていた電気屋さんが昔ながらのおじさんで(うまく動いてくれなくて)、私 自ら消防に出向いて、申請の資料や煙感知器や非常灯などの設置場所など打ち合わせをした。普通は電気設備屋さんが自分で申請用紙を作って提出するらしく、素人の私がいろいろ聞くので戸惑っているようだった。
消防検査が入る。結果待ちで一週間以上かかったと思う。そしてその消防検査をパスした書類をもって保健衛生課へ。数日後、保健衛生課の検査、そしてまた結果待ち…。
のちに他のゲストハウスの開業動向をみると改装工事で同時進行で検査を済ましているようだったが、その辺の要領が分からず改装工事と設備が完全に整った状態でないと検査されないと思っていた(少なくとも保健衛生課の担当者はそう言っていた)。なので改装工事や設備設置は終わったのに、誰もいないゲストハウスの中でかなりの日数、待たされることになった。
ずいぶん待ちくたびれていた11月13日。まだ行ったことがない高雄で紅葉が始まっている情報が入ってきていた。悶々と過ごしていても仕方がないし、気分を切り替え高雄に紅葉観光に行くか…と。
四条大宮からバスに乗り高雄の神護寺に着いたまさにその時、保健衛生課から「旅館業法の営業許可が下りました」と電話が入った。市内から一時間くらい離れているところで…なんというタイミングだ…。でもせっかく来たのだからと高雄を足早に巡り、それから宿に帰った。午後三時くらいだった思う。
それから保健所に旅館業法上の営業許可証をもらう。持ち帰り、なぜか風呂に入る、身体を清めなきゃという思いがあったと思う。そこからカウンターに座り、Booking.comに電話。部屋出しとなった。せっかく身体を清めたのだが、その日の予約は入らなかった。
10年前の2013年11月13日。靴箱に自分の靴しかなく、誰の声も聞こえてこないこの日がゲストハウスひつじ庵の開業日となる。
11月13日の宿泊予約はゼロ、11月14日もゼロ。
そして11月15日、初めてのゲストさんは日本人女性だった。
スイス人女性、コロンビア女性、イギリス人男性、中国人女性二人組がチェックイン。ゲストを迎えての初めての日、ゲストはこの合計6人だった。
その夜、ゲストさんたちが掘りごたつを囲んで談笑している光景はまだ鮮明に覚えている。
そうして、なんやかんや色々あったが、コロナ禍などでもなんとか生き残る。
2023年11月13日、10周年記念日。ここ数年、周年記念を祝ってくれるリピーターさんや友達が集まってくれて、思い出を語りながら夜遅くまで呑んだ。
中原中也の「宿酔」という詩がある。
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
私は目をつむる、
かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
白っぽく銹さびている。
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
「宿酔」とは二日酔いのことである。
千の天使のバスケットボールとは、二日酔いの後の幻視ともガンガンする頭痛とも読み取れる。
10年、長かったとも言えるし、あっという間だったとも思える。
自分の人生で10年何かを続けたことは他に無く、ようやく何者かになれたような気がする。
クレームもトラブルも悔しいことも沢山あった。しかし何人かのゲストさんが、ここに泊まって良かったと笑顔で言ってもらえるそのたびに、宿をやってきてよかったなと思い起こされる。まだまだ私は宿運営の魅力に酔っているようだ。
後どれだけ続けられるだろうか…もう少し酔っていたい。
ゲストハウスひつじ庵 のり